みかんのことがよく分かる!みかん辞典

紀伊国屋文左衛門

読み方 キノクニヤブンザエモン

概要

1665~1734年 江戸時代の商人。架空の人物ともいわれるが、実在したとされている。紀州湯浅(和歌山県有田郡湯浅町)の出身。その後江戸に住む。

解説

みかんを紀州から江戸に船で運んだ伝説が有名。ある年みかんが豊作で安値となってしまう。一方、正月が近いが船がしけででれず、江戸でみかんが品薄になっていた。江戸ではみかんをまく「吹子(ふいご)まつり」というお祭りがあり、みかんが高騰。それに気づいた紀伊国屋文左衛門は安くみかんを買い占め、家の古い船で江戸に運び富を得ることに成功する。さらには帰りの船には塩鮭をのせ、帰路でも大きな利益を得た。そのとき運んだみかんは紀州みかんで、現在普及している温州みかんとは異なる品種。

その後は江戸での住宅事情に目をつけて材木問屋を始めた。江戸では火事が起こりやすく、材木の需要が高まり、かなりの富を得た。鋳銭業に手を出すが失敗に終わり、晩年はさみしく過ごしたといわれるが、実際はかなりの資産があったこともうかがえる。

みかん船伝説は、歌にも残り「沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国みかん船」という歌詞がある。
歌謡浪曲「豪商一代 紀伊国屋文左衛」(島津亜矢)にも扱われている。

紀伊国屋文左衛門の生誕地は、和歌山県有田郡湯浅町別所といわれており、同住所の勝楽寺には松下幸之助が奉納した紀文碑がある。紀文は紀伊国屋文左衛門が略してそう呼ばれていたため。

和歌山県海南市下津には、みかんを積んだ船が出た港として、紀伊国屋文左衛門船出の碑がある。

東京深川の成等院には、紀伊国屋文左衛門のものと言われているお墓があるが、真偽は不明。位牌は和歌山県有田郡湯浅町の勝楽寺にある。
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